月別アーカイブ: 2025年12月
小耳情報1. ~寝地蔵石
去る9月と10月に二度、伊勢街道巡り旅をして、その報告記事を書いてきたが今週で一段落となった。長々とお付き合いくださった方々、ありがとうございます。ただ、旅の途中で見聞きした物事のなかで纏めきれなくて未だ報告していないも …
下調べ30.~鈴鹿墨
鈴鹿墨は、三重県鈴鹿市で作られる伝統的な固形墨で、日本の書道文化において重要な位置を占める工芸品である。 歴史と起源 鈴鹿墨の歴史は平安時代(794-1185年)まで遡る。この地域での墨作りが始まったのは、鈴鹿山脈から良 …
下調べ29.~六軒
伊勢街道の魅力に惹かれて調べていくうちに、「六軒」というちょっと変わった名前の地名に出会った。現在の松坂市中道町から市場庄町あたりの地域である。 初瀬街道との分岐点である三渡橋のたもとに立つ道標には、「いがごへ追分」「右 …
下調べ28.~伊勢型紙
伊勢型紙は、日本の伝統的な染色技法である型染めに使用される型紙で、三重県鈴鹿市を中心に発展してきた工芸品である。その精緻な技術と美しさから、1983年に国の伝統的工芸品に指定され、さらに1993年には重要無形文化財に指定 …
下調べ27.~藤堂高虎(7)赤木城
伊勢街道からは少し外れるが、三重県熊野市にひっそりとたたずむ山城「赤木城」がある。石垣の美しさと苔むした静寂の風景が印象的な歴史的名所である。一見すると観光地化されていない素朴な城跡だが、その背後には激動の時代を生き抜い …
下調べ26.~藤堂高虎(6)伊勢は津で持つ
関ヶ原合戦 関ヶ原戦当時の安濃津城主は富田信高であった。彼も東軍に属し家康に従って下野小山まで出かけていた。その留守に毛利秀元、吉川広家、宍戸元次、鍋島勝茂、龍造寺高房、長宗我部盛親、毛利勝永、安国寺恵瓊、長束正家などの …
下調べ25.~藤堂高虎(5)伊賀忍者
高虎が大御所家康の駿府城に呼び出されて、そこに滞在している将軍秀忠から伊賀一国十五万五百四十石、伊勢安濃津ならびに一志郡で五万四百十石、それに伊予越智郡で二万石、合わせて二十二万九百五十石の地に転封を命じられたのは、慶長 …
下調べ24.~藤堂高虎(4)家康との出会い
家康との出会い 紀州・四国を制圧し、関白に就任して天下を取ったと自負する秀吉にとって、未だに自分と対等の立場を変えない家康の存在は最も気になるものであった。何とかして、諸大名の見ている前で、家康を家臣として跪かせたい、再 …
下調べ23.~藤堂高虎(3)秀長との出会い
五人目の主君 信長の浅井長政討滅に抜群の功績のあった木下藤吉郎秀吉は、浅井の旧領・湖北三郡一二万石を与えられ小谷城主となったが、間もなくその城を湖岸の今浜に移し、信長の名に因んで長浜と改め、長浜城を築いて羽柴筑前守と称し …
下調べ22.~藤堂高虎(2)転機
姉川合戦 与吉の初陣は、浅井・朝倉連合軍が、織田・徳川連合軍に敗れた姉川合戦であった。当時弱冠15歳の与吉(高虎)が取った兜首を小谷城に持ち帰ると、浅井長政は初陣の功にと脇差を与えた。この活躍ぶりはいちはやく浅井家の家中 …










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