人物
下調べ27.~藤堂高虎(7)赤木城
伊勢街道からは少し外れるが、三重県熊野市にひっそりとたたずむ山城「赤木城」がある。石垣の美しさと苔むした静寂の風景が印象的な歴史的名所である。一見すると観光地化されていない素朴な城跡だが、その背後には激動の時代を生き抜い …
下調べ26.~藤堂高虎(6)伊勢は津で持つ
関ヶ原合戦 関ヶ原戦当時の安濃津城主は富田信高であった。彼も東軍に属し家康に従って下野小山まで出かけていた。その留守に毛利秀元、吉川広家、宍戸元次、鍋島勝茂、龍造寺高房、長宗我部盛親、毛利勝永、安国寺恵瓊、長束正家などの …
下調べ25.~藤堂高虎(5)伊賀忍者
高虎が大御所家康の駿府城に呼び出されて、そこに滞在している将軍秀忠から伊賀一国十五万五百四十石、伊勢安濃津ならびに一志郡で五万四百十石、それに伊予越智郡で二万石、合わせて二十二万九百五十石の地に転封を命じられたのは、慶長 …
下調べ24.~藤堂高虎(4)家康との出会い
家康との出会い 紀州・四国を制圧し、関白に就任して天下を取ったと自負する秀吉にとって、未だに自分と対等の立場を変えない家康の存在は最も気になるものであった。何とかして、諸大名の見ている前で、家康を家臣として跪かせたい、再 …
下調べ23.~藤堂高虎(3)秀長との出会い
五人目の主君 信長の浅井長政討滅に抜群の功績のあった木下藤吉郎秀吉は、浅井の旧領・湖北三郡一二万石を与えられ小谷城主となったが、間もなくその城を湖岸の今浜に移し、信長の名に因んで長浜と改め、長浜城を築いて羽柴筑前守と称し …
下調べ22.~藤堂高虎(2)転機
姉川合戦 与吉の初陣は、浅井・朝倉連合軍が、織田・徳川連合軍に敗れた姉川合戦であった。当時弱冠15歳の与吉(高虎)が取った兜首を小谷城に持ち帰ると、浅井長政は初陣の功にと脇差を与えた。この活躍ぶりはいちはやく浅井家の家中 …
下調べ21.~藤堂高虎(1)渡り奉公人
伊勢街道について調べ始めて、桑名あたりから徐々に南下、津城に辿り着いたところで、藤堂高虎という名前に出会った。実は、熊野の赤木城を建てた築城名人というくらいしか知らなかったので少し調べたいと思っていたのだ。 高虎には、仕 …
下調べ7.~豪商の町・松阪
伊勢街道と松阪商人 松阪は、伊勢街道沿いに位置し、江戸時代には多くの商人が活躍した町として知られている。三井家や長谷川家、小津家などがその一翼を担い、江戸の商業を支えた。松阪商人は、紀州藩の支援を受けながら江戸で商売を展 …









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