桂昌院(1627~1705)は、徳川5代将軍・徳川綱吉の生母で、のちに従一位まで昇った人物である。もともとは京都の町人の娘とされるが、将軍生母として絶大な影響力を持っていた。仏教信仰(特に日蓮宗)で知られるが、伊勢神宮への信仰も篤かった。江戸時代において、将軍家の女性が神宮に直接関わること自体が極めて重要な意味を持っていた。
内宮の手水舎(御手洗)
内宮における「手水舎」は、現在の一般的な屋根付き手水舎とは異なり、かつて、宇治橋を渡った直後、五十鈴川で手と口を清める御手洗場であった。古代以来の「自然の水で身を清める」神道本来の形式、つまり、参拝の最初の重要儀礼空間にあたった。
桂昌院は、元禄年間(1688~1704)に、内宮の御手洗場周辺の整備、石造の手水施設(手水盤・護岸石組)を寄進したと伝えられている。これにより、五十鈴川での禊(みそぎ)がより安全・厳粛に行えるようになった。将軍家の権威をもって、神宮の聖域が保護・整備されたという実利的・象徴的な効果があった。
桂昌院が手水舎を寄進した理由として、将軍生母としての国家安泰を祈願するという意味合いがあった。桂昌院の信仰は、綱吉の治世安泰、徳川家の繁栄、天下泰平を祈る国家的祈願の性格を持っていた。手水舎は「参拝の第一歩」であり、神と人とを隔てる境界を清める場である。 そこを整えることは、最も根源的な信仰行為であった。
女性による神宮崇敬の象徴
江戸時代、女性の公的宗教活動には制約があったが、桂昌院は将軍生母という立場にあり、直接参拝が叶わなくとも、寄進という形で関与することで、女性信仰者の象徴的存在となった。
桂昌院寄進当時の手水舎がそのまま現存しているわけではない。神宮は式年遷宮により、建物・施設はたびたび更新されるが、御手洗場の位置は「将軍家の寄進によって整えられた場所」という歴史的記憶は、現在まで連綿と受け継がれている。

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