築城と戦国時代

亀山城は、天文年間(1532-1555年)、関盛信によって築かれたとされている。東海道の要衝に位置し、伊勢国(現在の三重県)の重要拠点であった。織田信長の時代には、家臣の関氏や岡本氏が城主を務めた。

江戸時代
1590年代、岡本宗憲が城主となり、近世城郭として整備された関ヶ原の戦い後、徳川家康の支配下に入り、譜代大名の居城となった。石川昌勝・忠総父子が大規模な改修を行い、天守や多門櫓を建設、その後、本多氏、石川氏、板倉氏など譜代大名が交代で城主を務めた。明治維新まで、石川氏が最も長く城主を務め、幕末まで存続した。
城の特徴

構造としては、亀山の丘陵地に築かれた平山城で、本丸、二の丸、三の丸で構成された輪郭式の縄張りである。東海道が城下を通過する交通の要所であった。

 

現存遺構

明治維新後の廃城令により天守や多くの建造物は失われたが、多門櫓が残っており、三重県内で唯一現存する城郭建築物として貴重な存在である。市の重要文化財に指定されている。

文化的意義
亀山宿は、東海道五十三次の46番目の宿場町で、関宿(47番目)と並び、江戸と京都を結ぶ重要な交通路上に位置し、政治・経済・文化の中継点として機能する要衝であった。歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」にも描かれている。

地域のシンボル
亀山城は、亀山市の歴史的アイデンティティの中核であり、現在は「亀山公園」として市民に親しまれている。
近代化との関わり

明治時代には、城内に学校が設置されるなど、教育施設として活用され、城跡の保存と都市開発のバランスが図られてきた。

亀山城は、東海道の要衝として江戸時代の交通史・地域史を語る上で欠かせない史跡であり、現存する多門櫓は貴重な文化財として今日まで受け継がれている